私的ノンフィクション3選(part1)
序
試しに3選ずつ書評してみる。シリーズになるかは分からない。
クセノポン『アナバシス』
アナバシス―キュロス王子の反乱・ギリシア兵一万の遠征 (1985年)
- 作者:クセノポン
- メディア: -
驚かされるのは、事実に対する慎重な筆致であろう。当事者とは思えないほどに、煩雑な事実を整えた跡が見える。
例えば第三章の書き出しを引用しよう。
キュロスとその軍勢はここに二十日間留まった。兵士たちがこれ以上先へ進むことを拒んだからである。彼等は既にペルシア王に向って進撃しているのではないかと疑いはじめたからで、自分たちはそのような目的で傭われたものではないと言うのである。*1
「誰が/どこで/どの程度/何をした」が一瞬でつかめるこの出だしから、その原因がつらつらと述べられる。
ペルシアのお家争い、ギリシャ人傭兵の微妙な立ち位置、ペルシア帝国内の異民族たち、それらが迷いなく読者の頭に入ってゆく。
かくして、クセノポンらギリシャ人は決死の脱出行を試みる。
そのスリリングな展開もさることながら、軍人らしい感情を押し殺した理知が冴える。
同じ戦記ものとしてはカエサル『ガリア戦記』もあるが、私は『アナバシス』を推す。
『ガリア戦記』の簡潔明瞭の模範と言える文体もさることながら、アレシア包囲戦を勝ち抜く将才には胸打たれるものがある。
だが『アナバシス』の脱出行は誰の人生にも通じる切実さがあり、それゆえ多くの人に受け入れられる下地が感じられる。
デイヴィッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』
ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)
- 作者:デイヴィッド ハルバースタム
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 単行本
ハルバースタムの全著書を読んだ訳ではないが、ハルバースタムから裏切られたことは一度もない。
その中でも一冊を選べと言われればこちらであろう。
何よりもアイロニカルなタイトルが良い。
「最良の、最も聡明な人々」はケネディ政権のエリートたちを指す。
一見すると彼らを称えるように見えて、その意図するところは「なぜ優れた彼らはベトナム戦争という過ちを犯したか」である。
全ての叙述はその追求に向かうため、例えば、ケネディ政権下のキューバ危機などは数行で流してしまうが、それゆえに他書にない緊張感を生んでいるように思える。
アメリカは民主主義の国であり、どんな出自でも上に昇れる。そのような私の牧歌的なイメージは本書冒頭で消し飛んだ。
閣僚を選ぶのはゴリゴリのエスタブリッシュメント(支配階級)であり、ケネディはそのツテを使って一流の人材をかき集める。
選ばれるエリートはいずれも出自に優れ、教育資本を蓄積した、クリーンな白人男性である。
ハルバースタムは彼らとその周辺を順になぞりながら、いずれ来るベトナム戦争の過誤へと堅調に筆を進める。読者はアメリカ政治の苦悩に導かれるであろう。
なお、ハルバースタム本の何よりの楽しみは、膨大な取材に支えられた逸話や人物評だと考える。長くはなるが、私が胸打たれた一節を引用したい。
長期的な問題は的確に見通せるが当面の問題の処理は不得手だとされているボールズは、新政権について最も予言的な分析を次のように日記にしるしている。
「……この新政権について私が最も深く憂慮しているのは、果たしてここに正邪についての真の信念があるのだろうかという点である。このような問題は、いいかげんな気持ちでは書けないことを私も承知している。承知のうえで書いているのだ。
国内、国際とを問わず、社会道義の正邪について強い信念をもっている公人は、緊張の高まっている時代において、一つの大きな利点を有している。なぜなら、何をなすべきかについて、正しく明快な答えをただちに本能的に用意できるからである。しかし、そのような道徳的信念の基準、正邪を見極める感覚に欠ける場合、ほとんどすべて頭脳の教えるところに頼らなければならない。すべての問題のプラスとマイナスを計算し、結論を導くことになる。疲労や挫折の重荷から解放されている通常の場合なら、この種のプラグマスティックな方法でも正しい解答を得ることはできよう。
私が心配なのは、この種の人物が、疲れ、怒り、行き詰まり、感情的になっている時に出す結論である。キューバ事件は、基本的な道義的信念の枠組みをもたない場合、ケネディのように聡明で善意の人間でも、どれほどまでに道をあやまり得るかを如実に示している……」*2
信念や理性でさえ、目的達成の道具として勘定してしまう、強烈なプラグマティズムを思わずにはいられない。
吉村昭『漂流』
「無人島」の響きに、社会から隔絶された「楽園」を夢見ることがあるかもしれない。
江戸時代、偶然にも鳥島に流された船乗りの長平は、渡り鳥の楽園の中で生死をさまよう。本書を通じて感じるのは、有人島になりえないほど劣悪な鳥島の環境であろう。
農業さえ許さない岩だらけの土地、時期になれば去る渡り鳥、飲み水は川もないため雨水だけ。
そもそも離島に住むということは、陸送のような簡便な運送手段を欠くがゆえに、概して物質的に豊かではない。ましてや鳥島のような文明圏の外で、最低限の生活を支える物資を欠いた状態では、ただの海に囲まれた監獄になってしまう。
著者はそのような長平の身の上を、長平が生きた社会のままに描いてゆく。例えば、船で漂流中の長平たちの記述は次の通りである。
海水から真水を得るランビキという方法を知っていることが船頭の心得とされていたが、それは遠距離を航海する千石船の船頭に限られ、小廻りの回船に従事する源右衛門たちは、その言葉すら知らなかった。その方法は、釜で海水を沸騰させ、そこから立ち昇る湯気を冷たい物に当てて水滴にし、それを集めて飲料水にするのである。*3
全編通じて史実に取材しているため、現代人である私にも違和感なく読み通すことができる。時代を超えて肌身に迫るようである。
本書から少し離れるが、明治期にこの鳥島でおびただしい量のアホウドリが取りつくされてしまう。
詳細は アホウドリと「帝国」日本の拡大 をぜひとも読んでいただきたいが、大日本帝国の広がりとアホウドリがリンクする視点には、硬派な学術書とは思えないほどに好奇心を刺激される。
鳥島のような日本の端にも、歴史を変える分岐点が存在しうるのだ。いわんや、人ひとりの人生においてをや、である。一つの島とそこでの苦闘の在りようを知って、私たち読者の認知が何一つ変わずに終わることは決してない。
ハルバースタムのトルーマン評
引用
顧問のなかには努めてルーズヴェルト風に話し、演説は会話調にするよう助言する者もいたが、トルーマンは賢明にもそれは間違った道で巨匠の真似ごとはできないことを知っていた。トルーマンにできることは、ただトルーマン自身になり切ること、アメリカ国民はトルーマンにないものでトルーマンを判断しないでほしいと望んだ。
デイヴィッド・ハルバースタム. ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(上) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.4609-4612). Kindle 版.
トルーマンがホワイトハウスで成功を収めた理由の一つは、彼が平然と楽しげにハリー・トルーマンその人の姿をさらけ出していたからであった。彼は見たままの彼であった。彼は欠陥を攻撃されても、それはむしろ栄光ですらあった。その欠陥は、ごく普通の人間ならだれでももっている欠陥だったからである。彼は自分の限界も資産とした。アメリカ人はトルーマンと彼の行動に安心してついていくことができた。
デイヴィッド・ハルバースタム著 浅野輔訳『ベスト&ブライテスト〔下〕』二玄社 2015(2009) (p.42)
トルーマンの人生観や歩んできた道のりには、どこかしらあっけらかんとした雰囲気がある。
内なる懐疑などといった代物に悩むことはなかった。具体的な証拠を見、側近の忠告に耳を傾けると、即座に明快な決断を下した。いったん決断したのちは、振り返ることはなかった。あれこれと反省するタイプではなかった。政治は可能性の技術だと見切っていた。ポーカーのテーブルについたら、配られた手札で最善を尽くせばいい。あとはぐっすり眠るだけだ。
デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ 第1部 1950年代アメリカの光と影』新潮社 2002 (p.51)
自作PC / Ryzen 5000シリーズ編
顛末
毎回のように「自助」するも、結果として店員さんのサポートを借りてしまう。
今回も同様だったが、間抜けな失敗も含めてそのまま書く。
きっかけ
先週金曜(2020/11/6)「Ryzen 5000」 シリーズが発売された。
前回の自作からすでに6年以上が経過しており、そろそろ全面的に再構成したい自分の背中を押すには十分だった。
購入
発売から一夜明けた土曜日の夕方、ヨドバシカメラ秋葉原店はすべて完売しており、ツクモ本店は Ryzen 9(5900X / 5950X)のみ完売していた。
次点は Ryzen 7とRyzen 5のみだったが、もともと考えていた7を購入した。
7は9と同様に定格105Wだが、先述のレビューでは実行時の消費電力にはわずかながら違いがあるようだった。
ハイエンドを狙いながらも、普段使いという両立を考えて7にした。
差分
新旧の差分を書いてみた。
- | 旧 | 新 |
---|---|---|
CPU | Core™ i7-4770 | Ryzen™ 7 5800X |
CPU空冷ファン | (CPU付属) | Noctua NH-U12A |
メモリ | DDR3 16GB(4 * 4) | DDR4 32GB(16 * 2) |
メモリ(詳細) | DCDDR3-8GB-1333 | CT2K16G4DFS832A |
メモリ(詳細) | W3U1600PS-4G | - |
マザーボード | GA-H97-D3H | ASRock B550 Pro4 |
ストレージ | WD1003FZEX | WD_BLACK SN750 NVMe™ SSD 1TB |
GPU | STRIX-GTX970-DC2OC-4GD5 | (同一) |
※ 電源ユニット/ケース/DVDドライブは除外した
旧のマザーボードは2年前ほど前に壊れ、ドスパラで H97-PLUS の中古品に変えた。
普段使いなら旧でも支障はないのだが、強いていえば下記の懸念があった。
- 単純にHDDなのでファイルアクセスが遅い
- 旧規格(メモリ:DDR3)は主流ではない
- 次回マザーボードが壊れたとき、中古はあるだろうか
そんな訳で、一度ごっそり乗り換えたい欲があった。
組み立て
筐体の中。
このグラボの位置を見て、「あれ?」と思う人はきっといるだろう。
私は「前もこの辺だったし大丈夫!」くらいの気持ちだった。この時は。
動かない
最初に起動してから10秒くらい経っても、何も画面に表示されない。正常起動のビープ音も出ない。
途中でメモリの刺さり具合が悪いことに気づいて直すも、やはり10秒くらいしても反応がない。
このマザーボードには、「ポストステータスチェッカー」が付いており、CPUとDRAMのランプが赤い。つまり、異常であると解釈できる。
終盤、少し待つと途中で赤くなくなったが、 下の「GPU」と「BOOT」が次々に赤くなり消える。
画面には何も出ない。お手上げである。
素晴らしいサポート
仕方なくツクモに持ち込む。
事情を話したところ、先方の検証環境につないでもらう。
そして、起動開始10秒くらいで動いた。
何度やっても動く。
私は何が何だか分からないと思い、そこで次のことを知るのであった。
- このマザーボードはビープ音のブザーがないので音は鳴らない
- このマザーボードのポストステータスチェッカーの「CPU」「DRAM」は、正常であっても起動直後(だいたい10秒くらい)は赤いままである
- グラフィックボードの刺し位置が間違っている
- Ryzen 3000シリーズ以降、初回起動は20-40秒程度かかる
4はCMOSクリアした後に何度も再現したので、デフォルトの挙動であるらしかった。これのおかげで無反応扱いして、起動途中で何度も電源OFFしていた。
3はCPU寄りの銀色のPCIスロットに刺すべきだった。ここが x16 でグラフィックボードの刺し位置である。自分が刺していたのは x4 のほうだった。
(AGPとPCI-Express パソコン初心者講座 の「PCI-Express」)
つまり、4のおかげで何度も再起動させており、たまたま待ちつづけ起動が終わっても3のせいで画面には何も映らない。1の先入観と2の解釈違いでこれを取り付け異常だと錯覚しつづける。
非常に間抜けである。
取り付けられない
サポートによりようやく問題解決したので、次にCPUの空冷ファンを取り付けるも問題が発生する。
どうやっても下記の手順ができないのである。
(引用: manual)
このねじの取り付けが何度やってもできない。
台座の金具を押し付けるように、上から左右2つのねじを取り付けるだけである。
ところが、片方を締めたところで、もう片方が浮いて締め付けられない。バネが非常に硬く、なかなか届かない。
片方を締めれば片方が浮いて締まらない。そんなCPUを支点にしたシーソーゲームを1時間以上も続けた。
取り付けられた
途中で気づく。マニュアルから離れよう。
(引用: manual)
手前の手順では「Gently tighten the screws until they stop」とあったので、台座部分をしっかりとネジで止めていた。
これを取りやめ、台座の金具を上下にカタカタできる程度に緩める。
それから先ほどの手順に戻って、ねじがひっかかった後に、台座部分をしっかり締める。
こうして手順の4と5を組み合わせることで、しっかりと取り付けることができた。
製作元がここまで取り付け難易度を高めた理由は分からない。
結果
このようになった。
Ryzen 7 5800X がしっかり動いてくれている。
結果
確かに快適になった。
なったが、全体的にオーバースペックである。
直接的な恩恵はSSDの換装くらいで、CPU/メモリ/CPU空冷ファンの最大スペックを使用する作業はない。
時代とともに必要なスペックは変わってきたので、いつかは活かせるものと信じたい。
付録
うまくいかないときは昔を思い出す。
旧マザーボードの H97-D3H だが、これは初期不良で3回返品している。
原因は私のミスで、マザーボードを筐体に固定するためのネジ受けの位置を誤っていたからだ。
マザーボードのネジ穴に対応する形で、筐体側のネジ受けを配置しなければならない。
ところが余計にネジ受けを増やしており、本来ネジ穴がないマザーボードの裏側にまでネジ受けを置いていた。
このネジ受けが鉄製なので、マザーボードの配線に当たってショートし、BIOS起動まで至らず壊れていた。
つまり、GIGABYTE(マザーボードの製造元)は何も悪くないのである。
それなのに3回も取り換えてくれたので私は頭が上がらない。
では、なぜ今回GIGABYTEではなくASRockなのか。
それはRyzen 5000シリーズ向けにBIOSアップデートされたマザーボードが店頭になかったからだ。
大変悲しいことだが、次はGIGABYTEにしたい。
仁右衛門島へ(2020-03-16)
序
日帰りで 仁右衛門島 まで行ってきた
行きの [立川駅 -> 東京駅] と、帰りの [久里浜駅 -> 立川駅] に見所はない
それ以外の写真のみ掲載する
旅程
東京駅 -> 安房鴨川駅
東京駅八重洲口
ここから道路を一またぎすれば、京成バスの高速バス乗り場がある
東京湾を乗り越え、木更津に上陸する
快走したバスとの別れ
安房鴨川駅 -> 太海駅
安房鴨川駅から太海駅まではたった一駅だが、発車間隔に空きがある
ホームでしばし待つことに
就航しているらしい
熱い島推し...
太海駅 -> 仁右衛門島
スプレーによるエッジの利いた警告
鰹節の匂いがする
この後ろには鰹節問屋があった
車道の狭さやら、建物の密集具合やら、海岸沿いの漁具やら、とにかく情報量が多い
途中、行きすぎて引き返す
渡場への入口は分かりづらい
欠航?駅では就航だったはずでは...
と思って切符売り場を見つめていると小舟が迫ってきた
普段は手漕ぎ舟だが、今日は波があるためモーターとのこと
特に出港時間のようなものもなく、そのまま乗り込む
渡しの支払いは入口付近で行う
以降、掲載した写真以外にも見所はあるが、未訪の方に配慮して全ては載せないこととした
島内は小道伝いに移動する
ただ歩くだけなら15-20分程度で一周できる
岩礁の波の音が良い
海の存在感が強い
太海駅 -> 浜金谷駅 -> 金谷フェリー -> 久里浜
館山方面に内房線で移動する
この辺から強風を感じるようになる
強風により13:40欠航の可能性があるとアナウンスされるが、風が収まり乗船できることに
三浦海岸が見える
久里浜
久里浜では至る所に昆布が干されていた
鳩は良いものだ
島のこと
まず島の名前が珍しい
概して島の名前はその特徴に由来している
大きな「大島」、硫黄のある「硫黄島」、鳥がいる「鳥島」、そこに来ると「仁右衛門」さんの「仁右衛門島」というのは珍しいことだ
次に、陸との距離が近い
陸続きになったかつての島を「陸繋島(りくけいとう)」と呼ぶそうだが、少しでも隆起すれば房総半島の一部になりそうなくらい、岬との距離が近い
こうした立地のゆえだろうか、有人島として様々な史跡が残っている
それも徐福伝説のようなフワッとした類のものではなく、どうやら本当に来島したのだろうと思えるものが多い
とはいえ、岩礁の美しさは見事で、帰ってみればそちらの印象が強いと感じた
googleで「仁右衛門島」を検索すると「仁右衛門島 心霊」が候補に出ると思う
実際にそれで見ても根拠ははっきりしないが、手元の資料によると、過去に島の所有権を巡って争い、凄惨な事態を引き起こしている*1
そのため、島と太海とは仲が悪いのではと邪推していたが、胸のうちはどうあれ、お互いにとって欠かせない存在ではなかろうかと、立ち並ぶ旅館を見て思った
太海にはコンビニさえなく、新築らしい建物はほとんどない。島内の入口さえ廃れるに任せている
自分みたいな繁華街を嫌う人間には好ましいのだが、ついつい先行きを案じてしまう
*1:宮本常一『宮本常一全集4 日本の離島 第1集』未来社 2005(1969) p.67-68
「千葉県安房郡江見町太海の沖に仁右衛門島というのがある。波太(はぶと)島ともいっている。周囲が三〇丁ほどの島で、島主を平野仁右衛門とよび、源頼朝が石橋山で兵をあげ、敗れて安房にのがれたとき、島主にたすけられたので、頼朝は漁業運上の徴収権を島主に与えたといわれている。平野家はこの島を持ち、またあしか島から天面までの間の八手網漁と磯根あわびの漁業権をもっていて、八手網役永五貫文、鮑に対し運上永四九五八貫文を納めていた。ところが文久二年に、付近の漁民が元和年間の水名帳を証拠に、仁右衛門は頼朝とは関係なく、摂州から移住したもので、村方が島を貸してやったもので、島を独占すべきではないと訴えて出た。そこで平野方は元亀・天正の古文書をもとにして争い、平野側に有利であったが、小原村の宮崎文治が中にたち、平野側から村方へ四〇両差し出すことにして解決した。ところがその後、村方はそれでおさまらず明治二年再び訴訟をおこしたが敗訴になり、村方の代表善右衛門は責任を負うて自殺した。善右衛門の子三人は父のうらみをはらすため、風雨の夜島にわたって、平野家五人の者を殺傷した。そして身をひそめていたが、明治五年自首して出、それぞれ処刑せられた。それから大正一五年まで、島方と村方の者の争いがつづいたのである」
紀年
どんより曇った重苦しい時代だった。平和ではあったが、平和を喜んでいるわけにはゆかなかった
(p.176)
- 作者: テオドール・モムゼン,長谷川博隆
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2006/02/28
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昨日までの平成に寄せて、一つの区切りを残します